陆军士官学校 (日本)
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日語寫法 | |
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日語原文 | 陸軍士官学校 |
假名 | りくぐんしかんがっこう |
平文式罗马字 | rikugun-shikan-gakkou |
日本陆军士官学校(英語:Imperial Japanese Army Academy),简称「陆士」為日本陸軍軍官(是少尉軍官,而非軍士)養成之學校,日語的“士官”相當於漢語的“军官”,俗稱“將校”。汉语的“士官”在日语称为“下士官”。
该校於日本明治维新期间开办,前身是1868年8月开办的「京都军校」,于1874年正式成立。
该校為著名的學校,其毕业生均是日本近代军队的骨干,近代日本发动的侵略战争中的陆军军官无论大将还是少尉,几乎都曾在该校学习过。當時日本陸軍士官學校和海軍兵學校學生一畢業即成為高等官(奏任官)。日本皇族、華族也多數進這兩所學校。因此,在原本就非常尚武的日本社會有極高的聲望和影響力,甚至超過東京帝國大學。
目录
1 学制
2 歷代校長
3 出身者等
3.1 陸軍兵學寮
3.2 士官學生
3.3 士官候補生以降
3.4 陸軍士官學校本科以降
3.5 以降陸軍航空士官學校含
4 中国籍留学生
4.1 第一期
4.2 第二期
4.3 第三期
4.4 第四期
4.5 第六期
4.6 第19期
5 關連項目
6 註釋
7 參考文獻
8 外部連結
学制
先读两年陆军士官学校预科。然后分兵科,以少尉候补生身份(佩戴上等兵军衔)进入部队实习5个月(战时缩短为3个月)。部队实习结束晋升为军曹军衔,进入陆军士官学校本科或者陆军航空士官学校学习1年10个月(战时缩短为1年半)。本科毕业后,以见习士官身份(佩戴曹长军衔)回原部队实习数个月,实习结束后获得现役少尉的任命书。因此中学毕业生从入校到获得少尉军衔至少需要5年。
中国留学生在陆军士官学校就读留学生班,学制一年,单独开班授课。毕业后不能获得日军军籍军衔。中国留学生士官学校第10期毕业时间是1915年夏。日本学生的陆军士官学校第10期是1898年11月毕业。
歷代校長
曽我祐準:明治7年10月22日
大山巖:明治11年12月14日
谷干城:明治13年4月29日
小澤武雄:明治14年10月27日
三浦梧楼:明治15年2月6日- 小澤武雄:明治18年5月21日
曽我祐準:明治18年7月26日
滋野清彦:明治19年9月30日
寺內正毅:明治20年6月6日(代理。以中佐軍階任官)- 寺內正毅:明治20年11月16日(同日以大佐進級)
大久保春野:明治24年6月15日
波多野毅:明治25年11月24日
安東貞美:明治29年9月28日
中村雄次郎:明治30年9月28日- 寺内正毅:明治31年2月18日(公務經辦)
高木作藏:明治31年12月23日
南部辰丙:明治38年6月7日
野口坤之:明治44年9月6日
橋本勝太郎:大正元年11月27日
與倉喜平:大正4年2月15日
白川義則:大正8年1月15日
鈴木孝雄:大正10年3月11日
津野一輔:大正10年8月15日
南次郎:大正12年10月10日
宮地久壽馬:大正13年8月20日
真崎甚三郎:大正15年3月2日
林仙之:昭和2年8月26日
坂本政右衛門:昭和4年8月1日
瀬川章友:昭和6年8月1日
稻垣孝照:昭和7年5月23日
末松茂治:昭和9年3月5日
山田乙三:昭和10年12月1日
篠塚義男:昭和12年3月1日
山室宗武:昭和13年6月18日
土肥原賢二:昭和15年10月28日(軍事參議官兼任)- 篠塚義男:昭和16年6月20日(軍事參議官兼任)
牛島滿:昭和17年4月1日- 山室宗武:昭和19年8月8日
北野憲造:昭和20年3月19日
出身者等
陸軍兵學寮
- 明治3年12月入學、明治5年6月畢業、明治6年年5月任少尉
- 大將:安東貞美
- 大將:安東貞美
- 明治6年12月入學、明治7年10月少尉試補、明治8年1月任少尉
- 大尉:磯林真三(殉職)
- 明治7年2月入學、明治7年10月少尉試補、明治8年1月任少尉
- 大將:中村覺
- 大將:中村覺
- 明治7年3月入學、明治9年少尉試補、明治8年3月任工兵少尉
- 大將:鮫島重雄
- 大將:鮫島重雄
- 明治7年10月入學、明治9年3月少尉試補、明治10年5月任少尉
- 大將:一戸兵衛
- 大將:一戸兵衛
士官學生
※士官學生任官一律以少尉任官,畢業的每個兵科有所差別。
- 舊1期(明治8年2月入校、1877年12月22日任官、117名)
- 中將:木越安綱(陸相)・石本新六(陸相)・山根武亮・小泉正保
- 少將:石田保謙・河井瓢・栗田幹・多田保房・福原信藏
- 大尉:鈴木知康・酒匂景信
- 少尉:兒島滋胤
- 中將:木越安綱(陸相)・石本新六(陸相)・山根武亮・小泉正保
- 舊2期(明治12年2月1日任官、136名)
- 大將:大迫尚道・井口省吾・大谷喜久藏
- 中將:石井隼太・伊地知幸介・仙波太郎・田村怡與造・豊島陽藏・長岡外史・村木雅美
- 少將:加藤泰久・鷹司煕通・田内三吉・中村無一・原義成
- 少佐:榊原宰之助・山田一男・渡邊述(戰病死)
- 大將:大迫尚道・井口省吾・大谷喜久藏
- 舊3期(1877年入校、明治12年(1879年)12月22日任官、96名)
- 元帥:上原勇作(陸相)
- 大將:内山小二郎・秋山好古・柴五郎・本鄉房太郎
- 中將:石橋健藏・楠瀬幸彦(陸相)・藤井茂太・青木宣純・落合豊三郎・大久保徳明・榊原昇造
- 少將:太田正徳・佐藤忠義・鶴見數馬・東鄉八郎左衛門・八木下純・山口圭藏
- 大佐:關谷銘二郎(戰死)
- 中佐:塚本芳郎(戰死)
- 少佐:林秀芳
- 大尉:酒井次郎
- 舊4期(明治14年(1881年)12月24日任官、58名)
- 中將:大澤界雄・岡市之助(陸相)・大島健一・萩野末吉・林太一郎・山口勝
- 少將:井口五郎・石川潔太・今澤義雄・奥村元佶・加藤政義・佐野勝二郎・横田宗太郎
- 大佐:清水金生・吉田貞(戰死)
- 少佐:木村伊助(戰死)・根津一
- 大尉:永見松太郎
- 中將:大澤界雄・岡市之助(陸相)・大島健一・萩野末吉・林太一郎・山口勝
- 舊5期(明治15年(1882年)12月25日任官、60名)
- 大將:松川敏胤・由比光衛
- 中將:阿部貞次郎・小原傳・久能司・中村愛三・星野金吾・本多道純
- 少將:江藤鋪・黒澤源三郎・兒島八二郎・恒吉忠道・吉岡竹次郎
- 大佐:鵜澤総司(戰死)・江本精夫・小澤季治・下山筆八
- 大尉:荒尾精
- 大將:松川敏胤・由比光衛
- 舊6期(明治16年(1883年)12月25日任官、59名)
- 大將:仁田原重行・明石元二郎・大井成元・立花小一郎
- 中將:足立愛藏・蠣崎富三郎・重見熊雄・野口坤之・林太郎
- 少將:相浦多三郎・河野政二郎・杉浦藤三郎・橋口勇馬・橋本三郎・山本延身・依田昌兮
- 中佐:須知源次郎(戰死)・花田仲之助
- 大將:仁田原重行・明石元二郎・大井成元・立花小一郎
- 舊7期(明治18年(1885年)6月18日任官、61名)
- 大將:島川文八郎・宇都宮太郎
- 中將:井上仁郎・河内禮藏・柴勝三郎・竹下平作・村岡恒利
- 大佐:酒井甲子郎(戰死)
- 中佐:神田正富
- 大將:島川文八郎・宇都宮太郎
- 舊8期(明治19年(1886年)6月25日任官、144名)
- 大將:大庭二郎・河合操・田中義一(陸相)・山梨半造(陸相)
- 中將:高橋義章・永沼秀文・成田正峰・橋本勝太郎
- 少將:伊豆凡夫・公平忠吉・野中勝明
- 大佐:藤室松次郎
- 中佐:鯉登行文(戰死)
- 舊9期(明治20年(1887年)7月21日任官、189名)
- 大將:福田雅太郎・町田經宇・田中弘太郎
- 中將:凈法寺五郎・白井二郎・武内徹
- 少將:佐藤祐次
- 大佐:清水三男・岩倉久米雄
- 中佐:橘周太(戰死)・那須仙太郎(戰死)
- 少佐:清水盛次・鷹森赳夫
- 中尉:青木織之助(戰死)
- 大將:福田雅太郎・町田經宇・田中弘太郎
- 舊10期(明治21年(1888年)7月28日任官、158名)
- 大將:尾野實信
- 中將:高島友武・田村沖之甫・松井庫之助・山田隆一・渡邊岩之助
- 少將:加瀬倭武・吉野文四郎
- 少佐:平岡八郎(戰死)
- 大將:尾野實信
- 舊11期(明治22年(1889年)7月26日任官、207名)
- 大將:菊池慎之助・奈良武次
- 中將:西川虎次郎・高山公通・河村正彦・久松定謨・齋藤季治郎
- 少將:土井市之進・長尾駿郎
- 大佐:坂田虎之助・片倉小太郎・日野強
- 中佐:高嶋嘉藏・晴氣市三
- 少佐:石光真清
- 大尉:時澤右一
- 大將:菊池慎之助・奈良武次
士官候補生以降
- 1期(明治23年(1890年)7月26日畢業、明治24年(1891年)3月26日任官、147名)
- 大將:鈴木荘六・白川義則(陸相)・宇垣一成(陸相)
- 中將:兒島惣次郎・市川堅太郎・中島正武・石光真臣
- 少將:神戸次郎・森邦武・鈴木朝資・永山元彦・中山民三郎
- 中佐:大越兼吉
- 清國留學生:張紹曾・蔣雁行・唐在禮
- 2期(明治24年(1891年)7月20日畢業、明治25年(1892年)3月21日任官、148名)
- 大將:菅野尚一・森岡守成・鈴木孝雄
- 中將:南部麒次郎・吉江石之助・矢野目孫一・稻垣三郎
- 少將:上田兵吉・山根一貫
- 大佐:南正吾
- 少佐:西久保豐一郎
- 大尉:福島泰藏
- 大將:菅野尚一・森岡守成・鈴木孝雄
- 3期(明治25年(1892年)7月23日畢業、明治26年(1893年)3月13日任官、137名)
元帥:武藤信義
- 中將:朝久野勘十郎・大野豐四・大島又彦・三原辰次
- 少將:長谷川猪三郎
- 大佐:赤柴幾太郎
- 少佐:綾部傳一郎
- 清國留學生:刘询・宮邦鐸・潘榘楹・王永泉・王汝勤・孫宗先・曲同豐・吳光新・張樹元・張懷斌・賈德耀・傅良佐
- 4期(明治26年(1893年)7月25日畢業、明治27年(1894年)3月7日任官、188名)
- 大將:井上幾太郎・磯村年・田中國重
- 清國留學生:盧金山・何佩瑢
- 大將:井上幾太郎・磯村年・田中國重
- 5期(明治27年(1894年)7月27日畢業、明治27年(1894年)9月18日任官、213名)
- 大將:金谷範三・菱刈隆・岸本鹿太郎・吉田豊彦
- 中將:村岡長太郎・津野一輔
- 少將:松江豐壽
- 少佐:小野寺益
- 清國留學生:姜登選・陳儀
- 大將:金谷範三・菱刈隆・岸本鹿太郎・吉田豊彦
- 6期(明治28年(1895年)1月1日畢業、明治28年(1895年)5月22日任官、216名)
- 大將:南次郎(陸相)
- 中將:香椎秀一・三井清一郎(主計中將)
- 大佐:松尾傳藏
- 清國留學生:周蔭人
- 7期(明治29年(1896年)5月27日畢業、明治30年(1897年)1月25日任官、270名)
皇族:元帥陸軍大將久邇宮邦彦王・元帥陸軍大將梨本宮守正王
- 大將:畑英太郎・緒方勝一
- 中將:小泉六一・菊池武夫・桑田安三郎・李秉武(韓國留學生)
- 少將:朽木綱貞
- 中佐:板垣義正
- 少佐:櫻井文雄
- 大尉:淺野力太郎(戰死)・川喜多大治郎・吉田護郎
- 清國留學生:朱熙
- 8期(明治29年(1896年)11月26日畢業、明治30年(1897年)6月28日任官、292名)
朝鮮王朝來的留學生收到熱誠的歡迎。- 大將:渡邊錠太郎・林銑十郎(陸相)
- 中將:金山久松・木下文次・木原清・佐藤信・柴山重一・永井来
- 少將:岡本春三・島内國彦・鈴木文次郎・中島銑之助・前川讓吉・三輪秀一
- 大佐:植田瞭吉
- 清國留學生:王坦・于珍・楊宇霆・張煥相
- 9期(明治30年(1897年)11月29日畢業、明治31年(1898年)6月27日任官、650名)
- 大將:阿部信行・真崎甚三郎・本庄繁・松井石根・荒木貞夫(陸相)・林仙之
- 中將:坂部十寸穗
- 少將:李煕斗・王瑜植(同為韓國留學生)
- 大尉:小松慶也
- 清國留學生:王金鈺
- 大將:阿部信行・真崎甚三郎・本庄繁・松井石根・荒木貞夫(陸相)・林仙之
- 10期(明治31年(1898年)11月25日畢業、明治32年(1899年)6月27日任官、649名)
- 大將:松木直亮・川島義之(陸相)・西義一・植田謙吉
- 中將:上村良助
- 少將:伊藤政之助・倉島富次郎・溝口直亮
- 少佐:日野熊藏
- 大將:松木直亮・川島義之(陸相)・西義一・植田謙吉
- 11期(明治32年(1899年)11月21日畢業、明治33年(1900年)6月22日任官、670名)
- 元帥:寺内壽一(陸相)
- 大將:岸本綾夫
- 中將:四王天延孝・安藤紀三郎・多門二郎・荒蒔義勝・魚潭(韓國留學生)
- 少將:蘆川良治・石丸志都磨(滿州國軍中將)・金子規・山口十八
- 大佐:西鄉從徳
- 大韓帝國軍少尉:盧伯麟
- 12期(明治33年(1900年)11月21日畢業、明治34年(1901年)6月25日任官、655名)
- 元帥:杉山元(陸相)・畑俊六(陸相)
- 大將:小磯國昭
- 中將:二宮治重・香椎浩平・秦真次・柳川平助・鄉田兼安・稻垣考照
- 少將:瀧原三郎・古賀徹治・二宮久二・三宅篤夫
- 大佐:梅澤銀造
- 中佐:外山榮
- 大尉:青柳勝敏
- 清國留學生:鄒作華
- 13期(明治34年(1901年)11月22日畢業、明治35年(1903年)6月23日任官、722名)
- 大將:中村孝太郎(陸相)
- 中將:建川美次・林桂・福田袈裟雄・三宅光治・堀丈夫
- 少將:櫻井忠温
- 大佐:小林順一郎
- 少佐:井田磐楠・一戸寛
- 中尉:乃木勝典(戰死)
- 14期(明治35年(1902年)11月22日畢業、明治36年(1903年)6月26日任官、702名)
- 大將:古莊幹郎・西尾壽造・山田乙三
- 中將:宇佐美興屋・山室宗武・中村濱作・香月清司・橋本虎之助・佐藤三郎・伊東政喜
- 少將:安達十六・菅原良吉・横巻茂雄
- 大佐:小畑巌三郎
- 少佐:四條隆愛
- 大尉:有坂勉
- 中尉:大迫三次(戰死)・南部利祥(戰死)
- 大將:古莊幹郎・西尾壽造・山田乙三
- 15期(明治36年(1903年)11月30日畢業、明治37年(1904年)2月12日任官、708名)
- 皇族:陸軍少將竹田宮恒久王
- 大將:梅津美治郎・蓮沼蕃・多田駿
- 中將:今井清・谷壽夫・山岡重厚・永持源次・德川好敏・山田健三・田代皖一郎・中島今朝吾・松浦淳六郎・川岸文三郎
- 少將:服部兵次郎・大濱石太郎・長谷部照俉・金應善(韓國留學生)
- 大佐:河本大作・宮脇長吉・古賀傳太郎(歿後進級)
- 中尉:猪熊敬一郎・小笠原善平・乃木保典(戰死)
- 皇族:陸軍少將竹田宮恒久王
- 16期(明治37年(1904年)10月24日畢業、明治37年(1904年)11月1日任官、549名)
- 大將:岡村寧次・土肥原賢二・板垣征四郎(陸相)・安藤利吉
- 中將:磯谷廉介・小畑敏四郎・園部和一郎・永田鐵山(因相澤中佐事件昇任)・藤田進
- 少將:岡村元・森五六
- 少佐:小川武次・黒木親慶
- 大將:岡村寧次・土肥原賢二・板垣征四郎(陸相)・安藤利吉
- 17期(明治37年(1904年)入校、明治38年(1905年)3月30日畢業、明治38年(1905年)4月21日任官、363名)
- 大將:東條英機(陸相)・後宮淳・前田利為
- 中將:飯田貞固・篠塚義男・鈴木重康・岩松義雄
- 中佐:石割平造
- 大將:東條英機(陸相)・後宮淳・前田利為
- 18期(明治38年(1905年)11月25日畢業、明治39年(1906年)6月26日任官、920名)
- 大將:阿南惟幾(陸相)・山下奉文・岡部直三郎・藤江恵輔(昭和18年2月昇任)・山脇正隆
- 中將:安達十九・大島浩・久納誠一・酒井鎬次・佐佐木到一・澤田茂・安井藤治・安岡正臣(法務死)・矢野機・井上政吉・小松原道太郎・安藤三郎
- 少將:井上三郎
- 大尉:木村三郎
- 大將:阿南惟幾(陸相)・山下奉文・岡部直三郎・藤江恵輔(昭和18年2月昇任)・山脇正隆
- 19期(明治40年(1907年)5月31日畢業、明治40年(1907年)12月26日任官、1068名)
- 大將:今村均・田中静壱・河邊正三・喜多誠一・塚田攻
- 中將:熊谷敬一・小須田勝造・齋藤彌平太・本間雅晴
- 大將:今村均・田中静壱・河邊正三・喜多誠一・塚田攻
- 20期(明治41年(1908年)5月27日畢業、明治41年(1908年)12月25日任官、276名)
- 皇族:陸軍大將朝香宮鳩彦王・陸軍大將東久邇宮稔彦王(陸相)・陸軍砲兵大佐北白川宮成久王
- 大將:下村定(陸相)・吉本貞一・木村兵太郎・牛島満(戰死後特別晉升)
- 中將:橋本群・木下敏・酒井隆・飯田祥二郎・鷹森孝・井上貞衛
- 少將:竹村直臣(昇進即日待命)
- 皇族:陸軍大將朝香宮鳩彦王・陸軍大將東久邇宮稔彦王(陸相)・陸軍砲兵大佐北白川宮成久王
- 21期(明治40年(1907年)入校、明治42年(1909年)5月27日畢業、明治42年(1909年)12月25日任官、418名)
- 大將:富永信政
- 中將:石原莞爾・飯村穣・百武晴吉・安田武雄・黒田重德・町尻量基・横山勇・樋口季一郎・菅原道大・上月良夫・渡邊正夫
- 少將:儀我誠也
- 大佐:安江仙江
- 中尉:齋藤元宏
- 大將:富永信政
- 22期(明治41年(1908年)入校、明治43年(1910年)5月28日畢業、明治43年12月26日任官、721名)
- 中將:鈴木率道・村上啓作・原田熊吉・寺倉正三・田辺盛武・北野憲造・中村明人・笠原幸雄・寺本熊市・鈴木貞一・豊島房太郎・田中久一・牟田口廉也・安達二十三・西村琢磨・瀬谷啓・小倉達次・本多政材・松井太久郎・松山祐三・兩角業作・加藤泊治郎(戰病死)
- 中佐:相澤三郎
- 少佐:大山柏・空閑昇(自決)
留學生:何應欽(中華民國陸軍一級上將)
- 23期(明治42年(1909年)入校、明治44年(1911年)5月27日卒業、明治44年(1911年)12月26日任官、740名)
- 大將:小畑英良
- 中將:酒井直次・清水規矩・桜井省三・根本博・西原貫治・坂西一良・神田正種・板花義一・岡田資・佐伯文郎・永津佐比重・鈴木啓久・堀井富太郎・佐野忠義・志位正人・丸山政男・伊東武夫・水上源藏(自決特進)
- 大佐:大島久忠・橋本欣五郎
- 中佐:江本茂夫
- 大尉:板倉孝(憲兵)
- 韓國留學生:中尉:金光瑞(金顯忠、金擎天)
- 大將:小畑英良
- 24期(明治45年(1912年)5月28日畢業、大正元年(1912年)12月24日任官、734名)
- 大將:鈴木宗作(戰死)
- 中將:櫛淵鍹一・酒井康・柴山兼四郎・秋山德三郎・河邊虎四郎・秦彦三郎・横山静雄・馬場正郎・齋藤義次・澄田ライ四郎
- 少將:岡明之助(戰死)・東海林俊成
- 少佐:飯沼守麿
- 大尉:甘粕正彦・大澤二郎
- 尉官:岸田國士
- 25期(大正2年(1913年)5月26日畢業、大正2年(1913年)12月25日任官、741名)
- 中將:武藤章・富永恭次・佐藤幸徳・須藤榮之助・三浦三郎・中村正雄(没後進級)・山内正文・横山武彦(没後進級)・石田乙五郎・田中新一・櫻田 武(戰死)・山崎保代(没後進級)・那須弓雄・青木重誠(戰病死)
- 少將:横井忠道・上砂勝七
- 大佐:今村安・臼田寛三・小林吉二
- 26期(大正3年(1914年)5月28日畢業、大正3年(1914年)12月25日任官、742名)
- 陸軍大將輩出最後期
- 大將:栗林忠道(戰死)
- 中將:洪思翊・柳田元三・遠藤三郎・千田貞季・宮崎繁三郎・牧野四郎(戰死)・影佐禎昭・物部長鉾・安部孝一・林義秀・佐佐木登
- 少將:井上靖・田中隆吉・長友次男・川口清健・住吉正・秋草俊
- 大佐:東八百藏(戰死)・新井匡夫(特進)・大塚寅雄・李應俊(香山武俊・韓國軍中將)・劉升烈(江本烈・韓國軍少將)・安鐘寅(龜村貞信・韓國軍准將)
- 中佐:申泰英
- 大尉:内山雄二郎・金埈元(韓國軍准將)
- 滿州國軍中佐:朴勝薫(韓國軍少將)
- 中尉:池大亨(韓國光復軍總司令官)
- 27期(大正4年(1915年)5月25日畢業、大正4年(1915年)12月25日任官、761名)
- 中將:村田孝夫・木下榮市・納見敏郎(憲兵・自決)・原乙未生・綾部橘樹・久野村桃代
- 少將:河嶋修
- 大佐:東宮鉄男(戰死)・星實敏(憲兵)・金錫源(金山錫源・韓國軍准將)・白洪錫(韓國軍少將)
- 中佐:金仁旭
- 中尉:張錫倫(韓國軍上校)
- 少尉:荒木五郎
- 中將:村田孝夫・木下榮市・納見敏郎(憲兵・自決)・原乙未生・綾部橘樹・久野村桃代
- 28期(大正5年(1916年)5月26日畢業、大正5年(1916年)12月26日任官、651名)
- 中將:白銀重二・森赳・長勇・中西良介・池田純久・塚田理喜智・近藤新八(法務死)・宮崎周一
- 少將:一木清直・後藤十郎(一同戰死特別晉升)・長谷川務
- 大佐:棚橋真作・芳賀豊次郎
- 中佐:井置榮一(公務死)
- 中將:白銀重二・森赳・長勇・中西良介・池田純久・塚田理喜智・近藤新八(法務死)・宮崎周一
- 29期(大正6年(1917年)5月25日畢業、大正6年(1917年)12月25日任官、536名)
- 王族:陸軍中將李王垠
- 中將:有末精三・佐藤賢了・後藤光藏・稻田正純
- 大佐:安東貞雄・内山豪三郎・鳥飼恒男・長濱彰(憲兵、法務死)
- 中佐:今村久
- 王族:陸軍中將李王垠
- 30期(大正7年(1918年)5月27日畢業、大正7年(1918年)12月25日任官、632名)
- 中將:中川州男(2階級特進)
- 少將:伊藤鈴嗣・高嶋辰彦・小畑信良・山口槌夫・岩畔豪雄・鈴木敬司・今井武夫・櫻井德太郎
- 大佐:大石正幸(憲兵)・大迫勝・岡本孝行・戸根木龜之助
- 少佐:石川祥一・井上辰雄(戰死)
- 中尉:嚴柱明(韓國軍准將)
- 31期(大正8年(1919年)5月28日畢業、大正8年(1919年)12月25日任官、489名)
- 中將:有末次
- 少將:小野寺信・片倉衷・小池龍二・真田穰一郎
- 大佐:大島卓・大谷敬二郎(憲兵)・垣内八洲夫
- 中佐:淺井敏夫(戰病死)
- 中將:有末次
- 32期(大正9年(1920年)5月26日畢業、大正9年(1920年)12月26日任官、429名)
- 皇族:陸軍中將賀陽宮恒憲王
- 少將:天野正一・能登久
- 大佐:甘粕三郎・村岡安
- 皇族:陸軍中將賀陽宮恒憲王
- 33期(大正10年(1921年)7月27日畢業、大正10年(1921年)10月16日任官、437名)
- 皇族:山階宮芳麿王(後臣籍降下成為山階芳麿侯爵(中尉|陸軍砲兵中尉))
- 大佐:今村方策・水谷一生
- 中佐:杉本五郎(戰死)
- 大尉:淺野節・百武俊吉・山口一太郎
- 少尉:西久保豊成
- 34期(大正11年(1922年)7月28日畢業、大正11年(1922年)10月25日任官、345名)
- 皇族:陸軍少將秩父宮雍仁親王
- 少將:池田末男(戰死)
- 大佐:赤松貞雄・石井秋穗・小尾哲三・清家武夫・武田功・服部卓四郎・松平定堯
- 中尉:西田税
- 中退:三好達治
- 皇族:陸軍少將秩父宮雍仁親王
- 35期(大正12年(1923年)7月21日畢業、大正12年(1923年)10月25日任官、315名)
- 皇族:久邇宮邦久王(後臣籍降下成為久邇邦久侯爵(陸軍歩兵大尉))
- 大佐:天野勇(戰死)・荒尾興功・石川晉・井戸田勇・大坂順次・藤井貞壽・八原博通・美山要藏
- 大尉:大岸賴好
- 36期(大正13年(1924年)7月18日畢業、大正13年(1924年)10月25日任官、330名)
- 根據實際退休年限來晉升,閑院宮春仁王在昭和20年6月晉升為陸軍少將,其他人晉升少將以戰死後用特別進升來論。
- 皇族:陸軍少將閑院宮春仁王
- 少將:島村矩康・伊藤盛逸・鈴木真雄・木村正治
- 大佐:大庭小二郎・志甫健吉・辻政信・西竹一(1階級特進)・西鄉從吾・杉山茂・岡村愛一
- 大尉:野中四郎
陸軍士官學校本科以降
- 37期(大正14年(1925年)7月25日畢業、大正14年(1925年)10月26日任官、302名)
- 中將:片山二良(2階級特進)
- 少將:加藤建夫(2階級特進)
- 大佐:井本熊男(陸將)・今岡豐・奥野一雄・親泊朝省・解良七郎・杉田一次・林三郎・村上正一・山縣有光
- 中佐:朝山小二郎
- 少佐:伊藤佐又
- 大尉:香田清貞・菅波三郎・村中孝次
- 38期(大正15年(1926年)7月16日畢業、大正15年(1926年)10月25日任官、340名)
- 少將:大曽根義彦(戰死)
- 大佐:松前未曽雄・大賀時雄・岡村誠之・西岡繁・神崎長
- 中佐:浦部彰(戰死)・釘宮清重・山本顯弌・了戒次男・若松満則
- 大尉:安藤輝三
- 中尉:磯部浅一(一等主計)
- 39期(昭和2年(1927年)7月19日畢業、昭和2年(1927年)10月25日任官292名)
- 大佐:不破博・堂薗勝二・高山信武・中原茂敏・中澤勝三郎・松田武
- 中佐:石川明・一戸公哉・井上清一・大橋武夫・釜井耕輝・辻本隼三・牧野靖雄・馬杉一雄・吉田正治(戰死)
- 留學生:黄瀛
- 大佐:不破博・堂薗勝二・高山信武・中原茂敏・中澤勝三郎・松田武
- 40期(昭和3年(1928年)7月17日畢業、昭和3年(1928年)10月26日任官、225名)
- 大佐:黒田孝男(戰死)・橋田靖(戰死)
- 中佐:石川秀江・井上忠男・島谷武・吉滿末盛・神笠武登・森丙・宮崎舜市
- 41期(昭和4年(1929年)7月17日畢業、昭和4年(1929年)10月25日任官、239名)
- 皇族:山階宮茂麿王(後臣籍降下成為葛城茂麿伯爵(陸軍中佐))
- 大佐:近藤傳八(戰死)
- 中佐:板垣徹・越次一雄(戰死)・片岡太郎・神野敏夫・山口英治・加藤昌平・水町勝城
- 中尉:栗原安秀・中橋基明
- 42期(昭和5年(1930年)7月19日畢業、昭和5年(1930年)10月25日任官、218名)
- 皇公族:陸軍中佐竹田宮恒德王・陸軍中佐李鍵公
- 大佐:金子昌雄(戰死)
- 中佐:淺井勇・稻葉正夫・小笠原清・尾關正爾・芝生英夫・竹下正彦・細川直知
- 留学生:解方
- 皇公族:陸軍中佐竹田宮恒德王・陸軍中佐李鍵公
- 43期(昭和6年(1931年)7月22日畢業、昭和6年(1931年)10月26日任官、227名)
- 皇族:陸軍砲兵少佐北白川宮永久王
- 大佐:石川泰知(戰死)
中佐:天野良英(陸將)・菊池光明・白井正辰・廣瀬栄一・藤原岩市
- 中尉:新井勲(失官)・丹生誠忠
- 皇族:陸軍砲兵少佐北白川宮永久王
- 44期(昭和7年(1932年)7月11日畢業、昭和7年(1932年)10月25日任官、315名)
- 中佐:岩越紳六・浦茂・國武輝人・白石通教・瀬島龍三・橋詰勇・原四郎・神直道
- 少佐:宇木素道・三橋泰夫
- 中佐:岩越紳六・浦茂・國武輝人・白石通教・瀬島龍三・橋詰勇・原四郎・神直道
- 45期(昭和8年(1933年)7月11日畢業、昭和8年(1933年)10月20日任官、337名)
- 皇公族:陸軍中佐朝香宮孚彦王・陸軍大佐李鍝公
- 中佐:朝枝繁春・井田正孝・榊原正次・島貫重節・椎崎二郎・李烱錫(若松勇作)・田中耕二(空將)
- 少佐:明石寛二
- 皇公族:陸軍中佐朝香宮孚彦王・陸軍大佐李鍝公
- 46期(昭和9年(1934年)6月畢業、338名)
- 中佐:堀榮三(陸將補)
- 少佐:飯尾祐幸・緒方景俊(空將)・片倉恕・野口省己・畑中健二
- 47期(昭和8年(1933年)4月入校、昭和10年(1935年)6月畢業、330名)
滿州國元首之弟・醇親王繼嗣:愛新覺羅溥傑
少佐:石原貞吉(公務死)・上妻正康・小林友一・山口立・塚本素山
- 大尉:井川省(戰死)
- 48期(昭和11年(1936年)6月畢業、388名)
- 皇族:陸軍少佐三笠宮崇仁親王
- 少佐:成松長正・秋山登 (陸軍軍人)・今井義郎・衣笠駿雄・高橋正二・代永兵衛
- 大尉:岩田道孝(戰死)
- 少尉:後宮二郎(自決)
- 皇族:陸軍少佐三笠宮崇仁親王
- 49期(昭和12年(1937年)6月畢業、471名)
- 皇族:陸軍少佐東久邇宮盛厚王
- 少佐:岩田清一・中村龍平・溝口昌弘・李鍾贊・蔡秉德(大島秉德)・野田毅(法務死)
- 皇族:陸軍少佐東久邇宮盛厚王
以降陸軍航空士官學校含
- 50期(陸士1937年12月畢業426名、航士1938年6月畢業54名)
- 大佐:西尾常三郎(航士、2階級特進、戰死)・新海希典(航士、2階級特進、戰死)
- 少佐:石川貫之(航士、空將)・朴範集(東林益範)・窪田兼三・曲壽郎・李龍文(山本健雄)・河内山讓(航士)・倉澤清忠(航士)
- 菲律賓:ホセ・パシアノ・ラウレル(ラウレル大統領次男)
- 51期("1938年12月畢業461名、"1939年4月畢業)
- 少佐:荒木護夫・白川元春(航士、空將)
- 52期("1939年9月畢業508名、"1939年9月畢業)
- 少佐:井出洋(陸將)・大迫隆・古賀秀正・佐野幹雄・本城正八郎・水谷勝人・吉田穆(航士)
- 53期("1940年2月畢業1365名、1940年6月畢業)
- 少佐:赤松嘉次・飯村繁・杉山龍丸・橋本賢次・土生洋平・申應均(平山勝敏)・奧山道郎
- 大尉:三好秀男・岩本益臣(航士、戰死)
- 少佐:赤松嘉次・飯村繁・杉山龍丸・橋本賢次・土生洋平・申應均(平山勝敏)・奧山道郎
- 54期("1940年9月畢業1799名、1941年2月畢業)
- 皇族:東久邇宮彰常王(後臣籍降下成為粟田彰常侯爵(陸軍大尉))
- 大尉:小川諭(陸將補)金貞烈(香川貞雄)・進藤浩康(航士、戰死)・高品武彦・藤井政美・村上稔夫・佐藤(戰後谷崎)好弘・北畠暢男・佐佐木春隆(日本防衛大學校教官)
- 55期("1941年7月畢業1755名、"1942年3月畢業)
- 皇族:陸軍大尉賀陽宮邦壽王
- 中佐:笹川勉(航士、2階級特進、戰死)
- 大尉:上原重太郎・牛島茂・曽我邦夫(航士、戰死)・永野茂門・根木基夫(航士、戰死)・藤原彰・劉載興・金昌圭・生田惇(航士)・寺山欽造(航士)
- 中尉:古賀忠良(馬尼拉迎撃戰死、任陸軍大尉)・園田芳己(戰死)
- 留學生:丁一權
- 皇族:陸軍大尉賀陽宮邦壽王
- 56期("1942年12月畢業1672名、"1943年5月畢業)
- 少佐:阿部信弘(戰死)・崔貞根(高山昇・2階級特別晉升(特進)、戰死)・広森達郎(航士、2階級特進、戰死)・水川禎輔(2階級特進、戰死)・田中秀志(2階級特別晉升、戰死)・出丸一男(2階級特別晉升、戰死)
- 大尉:牛島貞二・藤山二典(航士、1階級特別晉升、戰死)・李亨根(松山武雄)・崔昌植(高山隆)・金鍾碩(日原正人)
- 中尉:阿南惟晟(戰死)・安藤浩(航士、戰死)・石川廣(航士、戰死)・遠藤榮(航士、戰死)・川島孝(戰死)・山本達夫(航士、戰死)
- 少尉:阿南惟敬
- 57期("1944年(昭和19年)4月畢業1268名、"1944年3月畢業)
- 大尉:桂正(2階級特別晉升、戰死)・荒木春雄(2階級特別晉升、戰死)・後藤光春(2階級特別晉升、戰死)・金泳秀(金山泳秀・2階級特別晉升(特進)、戰死)・猫橋芳朗(航士、2階級特進、戰死)
- 中尉:鈴木敏通・村上兵衛
- 少尉:天野三郎(航士、戰死)・柴田禎男(航士、戦死)・西村正英(航士、戰死)・藤井信(航士、戰死)・宮田淳作(航士、戰死)・森本秀郎(航士、戰死)
- 留學生:朴正熙(日名:高木正雄)
- 58期("1945年(昭和20年)6月畢業1146名、"1945年3月畢業)
- 中尉:板垣正
- 少尉:青木誠一・村井澄夫・山本卓眞・丁來赫(玉岡聖賢)・朴元錫(德田元教)・申尚澈(永田達明)・韓鏞顯(米原旭一)・崔福洙(佳山龍雄)・安光銖(龜村正經)
- 中尉:板垣正
- 59期(終戰後特別付與畢業資格、陸士1250名)
昭和18年4月1日預科士官學校入學,昭和19年10月13日預科士官學校畢業,同日任命為士官候補生,昭和19年10月14日士官學校入學,同日授予一等兵階級,昭和20年1月15日階級進級為伍長,昭和20年3月15日階級進級為軍曹。1961年59・60期同窗會「國史會」部份人士企劃政變,後以破防法適用事件第1號處置(參照三無事件)。
軍曹:東條敏夫・梶山静六・張昌國・洪承華
- 60期(陸士1824名)
- 本科學生為一等兵士官學校閉校。
- 兵長:中條高德・張志良(張本昇男)・李連洙・渡部敬太郎(陸將)・飯尾憲士
- 61期
- 皇族:東久邇宮俊彦王
森繁弘(自衛隊最後的舊軍出身者。統合幕僚會議長、空將)
- 皇族:東久邇宮俊彦王
中国籍留学生
晚清中国军事的积弱造成中国很多有识之士向国外学习先进的军事理念和技术。其中向日本派驻的留学生最多,对中国近代史影响也最大。一般学生先进入东京振武学校,其后再进入日本陆军士官学校。其中曾经于日本士官学校留学的中国人有[1]
第一期
第一期40人,
- (1)步科22人:陈其采、铁良、蒋雁行、铁忠
- (2)骑兵科4人:王廷桢、吴禄贞
- (3)炮兵科9人:陆锦、张绍曾、万廷献
- (4)工科5人:贾宾卿
第二期
第二期25人:
- (1)步兵科16人:哈汉章、良弼、冯耿光
- (2)骑兵科2人:蒋肇鉴
- (3)炮兵科4人:王遇甲、沈尚濂、许崇仪
- (4)工兵科3人:蓝天蔚、易乃谦
第三期
第三期94人:
- (1)步兵科35人:蒋方震、周道刚、许崇智、曲同丰、胡景伊、岳开先、上官建勋、朱廷璨、卢金山、贾德耀、潘榘楹、孙宗先、刘之洁、宫邦铎、游寿震
- (2)骑兵科12人:高尔登、蒋尊簋、蔡锷、陈文运、王丕焕、程侍墀、祁文豹
- (3)炮兵科28人:章亮元、徐孝刚、周家树、吴光新、张树元、王汝勤、付良佐、韩国饶、蒋廷梓、刘景烈
- (4)工兵科15人:张孝准、姚鸿法、虞克震、 程干青
- (5)辎重科4人:汪庆辰、方咸五
第四期
第四期(83人)1906年12月~1908年5月:金永炎、蒋作宾
第六期
1907年12月入学,1908年11月毕业。144人,又有说199人。同学有唐继尧、孙传芳、刘存厚、李根源、罗佩金、李烈钧、程潜、赵恒锡、严昌衡、顾品珍、李鸿祥、叶荃、黄毓成、张开儒等人。
第19期
黃國書,第一名畢業。
關連項目
- 日本陸軍幼年學校
- 日本陸軍預備士官學校
- 日本陸軍騎兵學校
- 日本陸軍大學校
- 日本海軍大學校
- 日本防衛大學校
- 相武台
註釋
^ 根据雷博宁的《中国留学日本士官学校名单及学生简历》,雷博宁《中国留学日本士官学校名单及学生简历》 一文整理。
參考文獻
秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
外部連結
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- 陸軍士官学校 - 軍人データベース(Purunus DB)
- 陸軍士官学校卒業別有名陸軍軍人紹介
- 陸軍士官学校写真・図面(国立国会図書館所蔵)
陸軍士官学校写真(長崎大学附属図書館所蔵)- 帝國陸軍~その制度と人事~
- 日本陸海軍事典
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